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歴代女性天皇は何人?8人10代の一覧と在位期間、2026年の皇位継承議論を解説

有馬 圭 有馬 圭 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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日本の歴史で、女性が天皇として即位したのは何人だったのでしょうか。答えは、8人・10代です。推古天皇から後桜町天皇まで、古代から江戸時代にかけて8人の女性が即位し、そのうち皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇は、それぞれ同一人物が2度即位しています。

女性天皇の歴史を理解するうえで欠かせないのが、即位した理由や当時の皇位継承事情、そして「女性天皇」と「女系天皇」の違いです。さらに2026年は、皇室典範等の改正法が7月24日に公布され、10月24日に施行されたことで、皇族数の確保をめぐる制度が変わりました。一方、女性天皇や女系天皇を認めるかという根本的な論点は、引き続き議論の対象となっています。

【歴代女性天皇は何人?】推古天皇から後桜町天皇まで8人10代の一覧

歴代女性天皇

日本史上、正式に即位した女性天皇は8人です。ただし、歴代天皇の代数で数えると10代になります。これは、皇極天皇が斉明天皇として、孝謙天皇が称徳天皇として、それぞれ再び即位したためです。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースでは、辞典類などを参照した調査結果として、女性天皇を10代8方と整理しています。以下は、一般に用いられる西暦の在位年をまとめた一覧です。

歴代女性天皇の名前・在位期間・皇位継承の関係
歴代 天皇名 在位期間 主な関係者・即位の背景
第33代 推古天皇 592~628年 欽明天皇の皇女、敏達天皇の皇后。政治的な安定が求められるなかで即位。
第35代 皇極天皇 642~645年 舒明天皇の皇后。夫の崩御後、皇位継承をめぐる調整のなかで即位。
第37代 斉明天皇 655~661年 皇極天皇と同一人物。孝徳天皇の崩御後、再び即位。
第41代 持統天皇 690~697年 天武天皇の皇后。孫の珂瑠皇子(後の文武天皇)への継承につながる時期に即位。
第43代 元明天皇 707~715年 文武天皇の母。幼い首皇子(後の聖武天皇)への継承を見据えた即位。
第44代 元正天皇 715~724年 元明天皇の娘、文武天皇の姉。母に続いて即位し、皇位継承を支えた。
第46代 孝謙天皇 749~758年 聖武天皇の皇女。女性として初めて皇太子を経て即位した天皇。
第48代 称徳天皇 764~770年 孝謙天皇と同一人物。淳仁天皇の廃位後に再び即位。
第109代 明正天皇 1629~1643年 後水尾天皇の皇女。江戸幕府と朝廷の緊張関係などを背景に即位。
第117代 後桜町天皇 1762~1770年 桜町天皇の皇女。後桃園天皇への継承を見据えて即位。

出典・参考:国立国会図書館のレファレンス協同データベース、nippon.com掲載の歴代女性天皇に関する解説、皇室典範に関する有識者会議の資料。古代の在位年は一般的な西暦表記です。

一覧を見ると、女性天皇は飛鳥時代から奈良時代にかけて多く、江戸時代にも2人いたことが分かります。一方、鎌倉時代から室町時代にかけては女性天皇が即位しておらず、時代を通じて一貫した制度だったわけではありません。

最後の女性天皇は後桜町天皇です。1770年に譲位して以降、現在まで女性が天皇に即位した例はありません。歴史上の前例があることと、現在の法律で即位が認められていることは、分けて考える必要があります。

【なぜ女性天皇が即位したのか】推古天皇・持統天皇・元明天皇らの歴史的背景

女性天皇が即位した理由は、時代によって異なります。共通しているのは、皇位継承が単純に父から長男へ移るだけではなく、皇族の血統、後継者の年齢、宮廷内の政治的な対立など、複数の事情に左右されてきたことです。

推古天皇:政治的な安定が求められた飛鳥時代

推古天皇は592年に即位しました。父は欽明天皇、夫は敏達天皇です。前の天皇である崇峻天皇が暗殺された後、朝廷では有力な政治勢力の調整が必要でした。

当時、蘇我馬子は朝廷で強い影響力を持っていました。推古天皇の即位は、皇室と蘇我氏の関係を含む政治状況のなかで理解する必要があります。推古天皇の治世には、厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我馬子らが政治に関わり、遣隋使の派遣など、対外関係や国家運営に関わる動きが進みました。

推古天皇の在位は約36年に及びます。女性天皇の歴史を、男性の後継者が成長するまでの短期的な代役だけで説明することはできません。

皇極天皇と斉明天皇:皇位継承の難しさと重祚

皇極天皇は舒明天皇の皇后で、夫の崩御後の642年に即位しました。その後、645年に譲位し、弟の孝徳天皇が即位します。

しかし、孝徳天皇の崩御後、皇位継承をめぐる状況は再び複雑になりました。そこで皇極天皇が655年に再即位し、斉明天皇となります。このように、同じ人物が退位後に再び天皇となることを「重祚(ちょうそ)」と呼びます。

この事例は、皇位継承が血縁関係だけで機械的に決まっていたわけではないことを示しています。皇極天皇と斉明天皇は別々の人物ではなく、同一人物の異なる天皇号です。

持統天皇:孫への継承を見据えた即位

持統天皇は天智天皇の皇女で、天武天皇の皇后でした。夫の崩御後、皇位継承者をめぐる問題が生じ、息子の草壁皇子も即位前に亡くなります。

その後、持統天皇は690年に即位しました。当時、孫の珂瑠皇子は幼く、後の文武天皇へ皇位を継承するまでには時間が必要でした。持統天皇は697年に譲位した後も太上天皇として政治に関わりました。

ここで押さえたいのは、持統天皇が単に皇位を一時的に預かったという説明だけでは不十分なことです。天皇としての統治に加え、譲位後も政治的な影響力を持ち、皇位継承の安定化に関与しました。

元明天皇と元正天皇:母から娘へ続いた2代の女性天皇

元明天皇は文武天皇の母です。文武天皇が崩御した際、その子である首皇子はまだ幼く、すぐに即位することが難しい状況でした。そこで元明天皇が707年に即位し、715年に娘の元正天皇へ皇位を譲ります。

元正天皇は、元明天皇の娘であり、文武天皇の姉にあたります。母から娘へと2代続けて女性天皇が即位した点が、この時代の特徴です。

元明天皇と元正天皇の治世は、後の聖武天皇への継承を見据えた時期でもありました。ただし、当時の女性天皇の役割をすべて「中継ぎ」と決めつけるのは適切ではありません。実際の政治的な役割や権限は、それぞれの天皇が置かれた状況に即して評価する必要があります。

孝謙天皇と称徳天皇:女性の皇太子から再即位へ

孝謙天皇は聖武天皇の皇女で、749年に即位しました。男性の皇子が早くに亡くなったことなどから、女性でありながら皇太子となり、その後に天皇となった点が特筆されます。

758年に淳仁天皇へ譲位した後、孝謙上皇と藤原仲麻呂の対立が激化します。仲麻呂の反乱が鎮圧され、淳仁天皇が廃位されると、孝謙上皇は764年に再即位し、称徳天皇となりました。

この時期の政治には、僧の道鏡をめぐる問題も深く関係しています。称徳天皇の死後、皇位は光仁天皇へと引き継がれました。孝謙天皇と称徳天皇も、皇極天皇と斉明天皇と同じく、1人の人物による2度の即位です。

明正天皇と後桜町天皇:江戸時代にも存在した女性天皇

明正天皇は1629年、後水尾天皇の皇女として即位しました。父の後水尾天皇は江戸幕府との緊張関係のなかで退位し、皇位継承をめぐる状況も複雑でした。明正天皇は、後に即位する後光明天皇への継承までの時期を担いました。

後桜町天皇は1762年に即位しました。前の天皇である桃園天皇が崩御した際、後継者の英仁親王はまだ幼く、後の後桃園天皇が成長するまでの期間を担うことになりました。後桜町天皇は1770年に譲位しています。

この2人の存在からも、女性天皇の即位は古代だけの現象ではなかったことが分かります。ただし、江戸時代の女性天皇が存在したという歴史的事実だけで、現行制度における皇位継承資格まで決まるわけではありません。

【重祚とは?】皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇の違い

「重祚」とは、いったん退位した天皇が、再び即位することです。歴代女性天皇の人数が8人なのに、歴代の代数では10代と数えられる理由は、この重祚にあります。

皇極天皇と斉明天皇は同一人物

皇極天皇は642年に即位し、645年に退位しました。その後、655年に再び即位した際の天皇号が斉明天皇です。第35代と第37代に記録されていますが、人物としては1人です。

再即位の背景には、孝徳天皇の崩御後の皇位継承をめぐる事情がありました。中大兄皇子(後の天智天皇)がすぐに即位するのではなく、皇極天皇が再び天皇となる形で政治的な連続性が保たれました。

孝謙天皇と称徳天皇も同一人物

孝謙天皇は749年に即位し、758年に淳仁天皇へ譲位しました。その後、政治的な対立を経て、764年に再即位して称徳天皇となります。第46代と第48代に数えられますが、やはり同じ人物です。

2つの事例を比較すると、重祚は単なる名称の違いではないことが分かります。再即位の背景には、それぞれ異なる政治状況や皇位継承上の課題がありました。

なお、歴代女性天皇は、いずれも父方を通じて天皇につながる「男系」の系譜に属していたと整理されています。この点は、現在の皇位継承制度をめぐる議論で、女性天皇と女系天皇を区別する際の重要な歴史的論点です。

【混同しやすい】女性天皇と女系天皇の違いをわかりやすく解説

女性天皇と女系天皇は、言葉が似ているため混同されがちですが、意味は異なります。女性天皇は「天皇の性別」に関する言葉であり、女系天皇は「母方を通じた皇統のつながり」に関する言葉です。

女性天皇は「女性が天皇になること」

女性天皇とは、女性が天皇として即位すること、またはその女性天皇本人を指します。推古天皇、持統天皇、元明天皇などが歴史上の例です。

過去の女性天皇8人は、父方を通じて天皇の血統につながる男系の女性でした。つまり、女性が即位したことと、父方の皇統を維持していたことは両立していました。

女系天皇は「母方を通じて皇統につながる天皇」

女系天皇とは、母方を通じて天皇の血統につながる天皇を指す言葉です。例えば、母親が天皇の娘であっても、その子が父方を通じて皇統につながらない場合、母方の血統を通じて皇統につながるという意味で女系と呼ばれます。

そのため、女性天皇を認めることと、女系天皇を認めることは、必ずしも同じ制度変更ではありません。女性天皇を認めながら、皇位継承の系統は男系に限定する制度設計も、概念上は区別できます。

違いを整理するとどうなる?

それぞれの違いは、次のように整理できます。

  • 女性天皇:天皇本人が女性であることに着目した呼び方。
  • 男系:父方をたどって天皇の血統につながる系統。
  • 女系:母方をたどって天皇の血統につながる系統。
  • 女系天皇:母方を通じて皇統につながる天皇を指す呼び方。

歴史上の女性天皇が8人存在したという事実は、女性が天皇になった前例があることを示しています。しかし、その事実だけで女系天皇を認めるかどうかまで決まるわけではありません。現代の議論では、性別の問題と皇統の継承方法を分けて考える必要があります。

【2026年最新】皇室典範の改正後も残る女性天皇・皇位継承の議論

2026年の皇位継承をめぐる動きを理解するうえで重要なのが、皇室典範等の一部を改正する法律です。内閣官房の公表資料によると、同法は2026年7月24日に公布され、10月24日に施行されました。改正の中心的な目的は、減少する皇族数を確保することです。

2026年10月24日に施行された制度改正の内容

今回の改正では、大きく2つの仕組みが導入されました。

1つ目は、内親王や女王が天皇・皇族以外の男性と結婚しても、原則として皇族の身分を離れない仕組みです。これまでは結婚によって皇族の身分を離れることが原則でしたが、改正後は結婚後も皇族として公務などを担えるようになりました。施行時点ですでに内親王・女王である人には、本人の意思によって結婚と同時に皇族の身分を離れることができる経過措置も設けられています。

2つ目は、皇室典範で皇族男子だった者の男系の嫡出子孫である、現在は皇族ではない男性を養子として皇族に迎える仕組みです。対象は15歳以上で、配偶者や子がいない男性などに限定され、皇室会議の議を経る必要があります。重要なのは、この制度によって皇族となった養子の男性には、皇位継承資格が認められないことです。

つまり、2026年の改正は、皇族数の減少に対応するための制度変更であり、女性天皇や女系天皇を認める改正ではありません。

皇室典範第1条はどうなっている?

皇位継承資格を定める皇室典範第1条は、改正後も「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という原則を維持しています。皇位継承の順序を定める第2条も、皇族の中から継承者を定める仕組みです。

このため、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持できるようになったことと、女性が天皇に即位できるようになったことは、別の問題です。結婚後も皇族として活動できる制度が整っても、女性天皇の即位資格が自動的に認められるわけではありません。

2026年の政治的な議論はどこまで進んだのか

2021年12月22日に取りまとめられた政府の有識者会議報告は、安定的な皇位継承を検討する際、今上天皇、秋篠宮皇嗣、悠仁親王までの皇位継承の流れを揺るがせにしてはならないという考え方を示しました。政府は2022年1月、この報告を尊重する方針を国会に報告しています。

2026年6月10日には、衆参両院の正副議長による議論の取りまとめが行われ、女性皇族が結婚後も身分を保持する案と、皇族ではない男系男子を養子として皇族に迎える案が制度改正の柱となりました。その後、改正法が成立し、7月24日に公布、10月24日に施行されています。

一方、女性天皇や女系天皇を認めるかどうかについては、制度改正の対象にはなりませんでした。2026年7月27日の首相官邸による書面回答では、政府は2021年の有識者会議報告を尊重する立場を示しています。

加えて、読売新聞オンラインの2026年10月24日付報道によると、改正法の施行直前には、木原官房長官が有識者会議を直ちに設置する考えはないと説明しました。野党側からは、安定的な皇位継承を確保するための議論を続けるべきだという声が上がっています。

このように、2026年10月29日現在、皇族数を確保するための制度改正は施行されたものの、女性天皇や女系天皇をめぐる論点については、政府・与党と野党の間で考え方に違いが残っています。

今後の議論で注目すべき3つの論点

今後の皇位継承をめぐる議論では、少なくとも次の3点を分けて見る必要があります。

  • 皇族数の確保:女性皇族の結婚後の身分保持や養子制度が、皇室の活動を支える担い手の確保につながるか。
  • 皇位継承資格の範囲:女性天皇や女系天皇を認めるかどうか、現行の男系男子の原則を維持するか。
  • 制度の持続性:将来の皇位継承者を確保しながら、皇族の身分や公務のあり方をどのように設計するか。

この3つは相互に関係していますが、同じ問題ではありません。皇族数を増やすことと、皇位継承資格を広げることは、法律上も政策上も区別して議論する必要があります。

【歴代女性天皇に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:歴代女性天皇は全部で何人ですか?

A1:日本史上、正式に即位した女性天皇は8人です。皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇は、それぞれ同一人物が2度即位しているため、歴代の代数では10代となります。

Q2:最後の女性天皇は誰ですか?

A2:最後の女性天皇は後桜町天皇です。1762年に即位し、1770年に譲位しました。以降、現在まで女性が天皇に即位した例はありません。

Q3:女性天皇と女系天皇は何が違いますか?

A3:女性天皇は天皇本人が女性であることを指し、女系天皇は母方を通じて皇統につながる天皇を指します。過去の女性天皇8人は、いずれも父方を通じて天皇の血統につながる男系の女性でした。

Q4:2026年の皇室典範改正で女性天皇は認められましたか?

A4:認められていません。2026年10月24日に施行された改正は、女性皇族の結婚後の身分保持や、一定の男系男子を養子として皇族に迎える制度など、皇族数の確保を目的としたものです。皇位継承資格を定める第1条の男系男子の原則は維持されています。

【プロの結論】歴代女性天皇の歴史から2026年の皇位継承を考える

歴代女性天皇の歴史を振り返ると、日本では古代から江戸時代まで、8人の女性が天皇として即位してきました。その背景には、後継者の年齢、皇族間の血縁関係、宮廷政治、皇位継承をめぐる対立など、時代ごとの事情がありました。

なかでも、皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇の重祚は、女性天皇の人数を理解するための要点です。また、持統天皇や元明天皇、元正天皇の事例は、女性天皇が皇位継承の安定化に関わってきた歴史を示しています。

一方、2026年の皇室典範改正では、皇族数を確保するための新しい仕組みが導入されましたが、女性天皇や女系天皇を認める制度変更には至っていません。歴史上の前例と、現行法が定める資格要件は、明確に区別する必要があります。

女性天皇をめぐるニュースを読む際は、「女性が即位できるか」「母方を通じた皇統を認めるか」「皇族数をどう確保するか」という3つの論点を整理することが、議論の本質を理解する近道です。歴史的事実と現在の法制度、そして将来の制度設計を分けて考えることが、2026年以降の皇位継承をめぐる議論を読み解くうえで欠かせない。

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アニメとゲームの情報を10年取材。放送日・配信日・原作の刊行状況は公式サイトで確認し、続報は出典付きで追います。

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